民間企業

「伝えてくれてありがとう」
という視聴者の声を聞くたび、人とのつながりの大切さを実感。

株式会社長崎国際テレビ 勤務安田 由佳 さんYasuda Yuka法学部卒(1995年3月) / 愛媛県立 川之江高校 出身

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現在、どのようなお仕事をされていますか?

テレビ局の報道部でアナウンサーをしています。
勤務先は長崎国際テレビ。日本テレビ系列局として、長崎県を対象地域に放送を行っているテレビ局です。
アナウンサーの仕事と言えば、ニュース番組に出演し、視聴者の方々にニュースを伝えるというイメージがあると思います。ただ、長崎国際テレビは、それがすべてではありません。「アナウンサーも現場に出向いて取材をする」というのが基本姿勢。記者としてしっかりと取材ができないと、その出来事についてきちんと伝えることができない、という考え方なんです。ですから、事件の現場や行政の行事、スポーツの試合など、いろいろな所に足を運んでいます。そうしてアナウンサーと記者という二足のわらじを、新人の頃からずっと履いてきました。

ディレクターとして自ら番組製作も手掛けられていますね。

記者をしていると、地方が抱える問題というのがたくさん見えてくるんです。医療の問題であったり、人口の高齢化の問題であったり。それは長崎という一地方だけの問題ではなく、全国の他の地方も同じように抱えている問題なんですよ。これを全国に発信したいと考えていた時に、ちょうどドキュメンタリー番組を製作してみないかというチャンスをいただきました。
中でもテーマとして取り上げたのは、累犯障害者をとりまく問題。累犯障害者とは、福祉の法に守られることなく、仕事に就けず、生活のために食べ物やお金を盗むなどの犯罪を繰り返し、居場所のない社会と刑務所を行き来している人たちのことです。日常の取材の中で、私はそうした人たちの存在に気づかされ、この問題について掘り下げ、より多くの人に伝えたいと考えました。そして取材を重ねるうちに累犯障害者が社会復帰するためのプログラムに取り組んでいる施設が長崎にあると知り、1年間にわたってこの取材に取り組み、「塀の外で見つけた居場所~罪を犯した障害者たち」という番組を製作しました。

その番組が2009年にギャラクシー賞の選奨を受けたのですね。おめでとうございます。

ありがとうございます。ただ、賞以上に、視聴者の方々からの反響に手応えを感じました。「こんな問題があるなんてまったく知らなかった、よく私たちに知らせてくれた、ありがとう」といったお言葉をたくさんいただくことができました。報道に携わっていて、一番うれしいことですよ。アナウンサーとしてニュースを伝える時でも、視聴者の方から「あのニュースを見たからこういうことが知れたよ」と言っていただけると、「この仕事をやっていてよかった」と心から感じます。
人って、自分のためだけでは最後まで頑張れないと思うんです。最後まで頑張れるのは、「誰かの役に立っているんだ」という想いがあればこそ。視聴者の方々の声に支えられて、「次の仕事も」という意欲を奮い立たせることができているんですよ。
わずか1分間のニュースを放送するにも、記者やアナウンサー、撮影や編集を行うスタッフなど、たくさんの人たちの力が必要となります。このような、人とのつながりによる「みんなで作るニュース」が私は大好きです。番組製作も同じで、みんなの力で一つの番組を作って問題提起をし、それが視聴者のみなさんに少しでも伝われば、という気持ちで取り組んでいます。

今のお仕事を志すようになったきっかけは何ですか?

大学生の時、就職が目の前に迫り、改めて「自分が進む道を選ばなければ」と悩みました。そんな時、たまたま見ていたテレビのニュース番組が、答えを導き出すきっかけとなったのです。アナウンサーが自分自身の感じたことを話しているのを見て、「そうだ、私は何かを人に伝える仕事がしたかったんだ」と気づいて…。
当時はバブルが崩壊し、世の中が混沌としていた時代。オウム真理教による事件も起こり、そうした事件や政治に関するニュースを耳にしながら、私は考えました。私は学生だけど、私が今いる場所とニュースとはつながっている。つまりニュースは、自分の人生に大きくかかわっていることなんだ、と。そう考えると、報道という仕事は、誰かの人生を大きく変えるきっかけにもなる。「すごい仕事だ」と憧れ、アナウンサーという職を志したのです。

就活にはどのように取り組まれましたか?

まずは周囲のいろいろな方に聞きました。私はアナウンサーになりたいのだが、なるにはどうすればいいのか、と。先生や友人、アルバイト先の人たちにも。すると友人が、「知人のお父さんがテレビ局でアナウンサーをされているから、一度会ってみたら?」と紹介をしてくれたのです。その方からアナウンサーという仕事についてじかにお話をうかがうことができ、アナウンス教室まで紹介していただくことで、道が開けました。
当時は就職氷河期と言われ始めていた時期。特に女子は厳しいと言われていた頃でしたが、それでも私はテレビ局という競争率の高い就職先一本に絞って、就活に臨みました。想いを伝える仕事をするのですから、自分がそういう強い想いを持っていなければ、相手には受け取ってもらえない、と考えてのことです。今考えると無茶だったかもしれませんね。でもどの局からも内定をもらえなかったとしても、ボランティアで目の不自由な方のために読み聞かせをするなど、仕事でなくても「何かを伝える人になりたい」という希望を叶えるつもりでいました。結果として長崎国際テレビに入社でき、アナウンサーになれたのは、運が良かったからなのかもしれませんね。

大学での学びは今のお仕事にも結びついていますか?

最近では、平和憲法の改憲ということが注目を集めていますよね? 長崎は被爆地であり、平和を実現するためにみんなで力を合わせている県ですから、この問題には特に大きな関心が寄せられています。そうしたニュースに関わる中で、法学部での授業を思い起こすんです。「そうか、あの時、先生が話していたのはこういうことだったのか」と感じることが、たびたびあって…。
普段の生活の中で、法律を意識することはほとんどないかもしれません。でもさまざまな社会問題を見つめると、そこには法律が関わっていて、やっぱり身近なものなんだと気づかされます。「法律を学ばせてもらって良かった」というのが、いま再認識していることです。
授業だけでなく、大学での4年間は人生で最も貴重な時間だったと実感しています。自分が何をやりたいのか、といったことに真剣に向き合えた時間でしたからね。社会に出てしまえば、忙しくてそうした時間はなかなか得ることはできません。在学生のみなさんやこれから大学に入ろうとしているみなさんにも、この4年間を本当に大切にしてもらいたいと思います。

今後の目標についてお聞かせください。

私自身は、運良く自分の夢を叶えることができました。若い人たちにもそうした夢や目標をたくさん持ってもらい、そこに向かって一生懸命になってもらいたい。人生は思い通りにならないことが多いですが、「自分がこれだけ頑張った」という足跡を残せば、たとえ夢が叶わなくてもそれは自分自身のためになります。それを若い人たちに伝え、「頑張って良かった」と思える人生を歩んでもらえるよう、人材育成などのお役に立ちたい、というのが私のこれからの目標ですね。後輩アナウンサーへの指導などはもちろん、社外の若い人たちに対しても、自分ができる範囲でアドバイスをしていける機会を設けたいと考えています。

受験生の皆さんへのメッセージ

現代はグローバル社会と言われ、世界で活躍できる人材が求められています。でも英語が堪能というだけでは、そうした人材になれるとは思えません。大切なのは、相手の立場に立って考え、想いを伝え合う、本当の意味でのコミュニケーション能力。どんな仕事も、基本は人と人とのつながりがあってこそです。ですから大学での4年間で、できるだけたくさんの人と話して、コミュニケーション能力を養ってほしいですね。友だちだけでなく、先輩や先生、職員の方々など、いろんな世代の方々と話して、相手のお話も聞くようにしてほしいです。経法大には、そうしたいろいろな方とふれあうチャンスが日常的にありますよ。

※掲載内容は取材当時のものです。

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