民間企業
父のように、いつの日か起業し、
一人でも多くの「誰かのためになること」を成し遂げたい。
内定先についてお聞かせください。
パーソルキャリア株式会社から内定をいただきました。
パーソルキャリアは、アルバイトやパートサービスの「an」、転職サービスの「doda」など、さまざまな人材サービス業を手掛けている会社です。2017年に社名を変更したので、旧社名であるインテリジェンスの方が聞き馴染みがあるという人もいるかもしれません。
入社後、北海道の札幌支店でコンサルティングセールス職に就く予定です。店舗のオーナーから、ベンチャー企業の社長、誰もが知っている大企業の役職者まで、多種多様なクライアントの課題を解決するためにコンサルティングを行うのが主な仕事です。さらに、札幌支店の場合は、行政と連携した地方創生にも取り組めるので、自分のアイデア次第でどこまでも挑戦することができ、さまざまな価値観に触れながら営業力や提案力を磨いていける環境があります。
大阪が地元なので、最初は大阪オフィスで働くつもりでしたが、北海道は新規開拓していける領域も、やり甲斐も大きいと伺い、北海道への赴任を希望しました。高校時代は、野球留学で北海道の高校に行っていたので、新天地でありながら馴染みのある土地でもあり、社会人としてのスタートを切るには最高の場所だと思っています。
西尾さんの就職活動は一風変わったものだったと伺いましたが。
はい。会社に入るために就活をするのではなく、いろんな人に会って、いろんな考え方を吸収し、各社のビジネスモデルを勉強するために就活をしていました。ですから、特に業界を絞ることなく、100社以上は会社をまわったと思います。また、同じようなリクルートスーツに身を包み、周囲との同質化を求める就活にも疑問を持っていたので、リクルートスーツは着ませんでしたし、履歴書もマーカーを引いたりしてカラフルに装飾していました。「どうせやるなら楽しんでやろう」と考え、自分の思うままに行動していたので、企業のお問い合わせフォームに「社長に会わせてくれ」とメールをし、カフェで面接、即内定をもらう、というようなこともありました。
そんな就活をしていた背景には、会社を経営している父のように、将来、自分も起業したいという思いがあったからです。だから、僕の就活はすべてが起業のための勉強であり、将来の起業を見据えてどの会社に入るのが最善かを判断するための活動だったとも言えます。
大学生活では、どのようなことに取り組まれたのですか?
振り返ってみると僕の大学生活は、留学・サークル・NPO法人での活動に集約されている気がします。まず、1年生の夏休みに、大学のプログラムとは関係なくプライベートで中国の大学に1カ月間留学しました。ゼミの先生とカンフー映画の話をしていた流れから、「中国の大学を紹介するから実際に行ってみれば?」と勧められ、中国語を英語で学ぶ留学プログラムに参加しました。中国語を英語で勉強するという体験は、今まで使ったことのない思考回路が開かれていくような感覚があり、予想外のおもしろさがありました。ただ、もうひとつ予想外だったのが、財布を日本に忘れたまま中国へ行ってしまったため、野宿まで体験したこと。そして、さらに予想外だったのが、野宿をしている僕を心配した中国人が、食事をご馳走してくれ、お金を貸してくれる銀行を一緒に探し回ってくれたことです。それまでは、中国人には親切なイメージがなかったので、とても驚き、感動しました。
中国から帰国した後、「もしかすると、日本へ留学に来ている外国人も、僕と同じように困っているかもしれない。そんな人たちのために、何かできることはないだろうか」と考えた結果、日本人学生と留学生が交流できる「国際交流サークル」を立ち上げることにしました。学生たちの思いにフィットしたのか、サークルをつくると所属人数はすぐに80人規模へと膨れ上がり、最終的には100人以上にまで成長しました。BBQや花火大会、ハロウィンパーティーにクリスマスパーティーなど、季節ごとにイベントを企画し、多くの学生の交流を生み出すことができたので、少しは中国で助けてもらった恩に報いることができたかなと思っています。
また、国際交流サークルの立ち上げをきっかけに、国際部の職員の方々とも親しくなったので、さまざまな情報をキャッチできるようになりました。その中のひとつが、NPO法人「ネパール野球ラリグラスの会」についての情報。「ラリグラスの会」というのは、野球が知られていないネパールで野球の楽しさを青少年に紹介しているNPO法人です。実は、北海道で野球に打ち込んでいた高校時代に、このNPO法人がネパールで野球指導をしているテレビ番組を観たことがあり、「自分も将来こんなことをやってみたいなぁ」と思っていたんです。だから、経法大が「ラリグラスの会」と協力体制にあることを知った時は、偶然の出会いに驚きながらも、すぐに「ラリグラスの会」に入れていただきました。すぐにでもネパールへ行きたかったのですが、中国の北京大学への留学を控えていたので、本格的にNPO法人の活動に参加したのは2年生の終わり頃になってからでした。
北京大学への留学では、どんなことを学ばれましたか?
前回の留学とは違って、今度は大学のプログラムを利用した交換留学です。しかも、北京大学は、世界大学ランキングで東京大学よりも上位にランキングされている世界有数の名門大学。何となく勉強しているだけでは行く意味がないと思い、「北京大学の学生から、ひとつでも多くのことを吸収して帰る」というテーマを持って留学に臨みました。
北京大学の授業では、中国語を勉強していたので、現地の学生とも中国語で積極的にコミュニケーションを取るようにしていました。前回の留学のおかげもあり、勉強したことがスムーズに頭に入ってきたので、今では日常会話くらいなら不自由なく話せるようになりました。また、授業以外でも現地の学生と交流をはかるために、カンフー部に入部したり、学生ボランティア団体の活動に参加してツアーを企画・運営したりもしていました。そんな日々の中でよく目にしたのが、自分の意見をはっきりと言う北京大学の学生たちの姿です。普段の会話の中でも、ディスカッションの場でも、自分の信念や考えをしっかり持っている彼ら・彼女らは、臆することなくそれを発信していました。日本人の場合は、どうしても周囲の目を気にしながら意見を言う傾向にありますが、それではダメだということに改めて気づかされました。どちらかと言えば、僕も積極的に意見を言うほうだと思っていましたが、北京大学の学生たちに比べれば、まだまだだなと痛感しました。
NPO法人の活動では、忘れられない体験があったそうですね。
はい。すべてが忘れられない体験でしたが、ひとつ大きな成果として挙げるとすれば、野球のネパール代表チームにコーチとして帯同し、国際大会でネパール初の1勝をあげたことですね。あの1勝は、いま思い出しただけでも興奮が蘇ってくるほど貴重な体験になりました。
合計5回ほど野球指導のためにネパールへ行きましたが、初めてネパールへ渡ったのは2年生の2月の時。前年にネパールで大地震があったばかりだったので、日本国政府が推進するスポーツによる国際貢献活動「Sport for Tomorrow」の一環として、スポーツ教室と防災教育を行いました。2週間ほどの滞在でしたが、地震で傷ついた国の姿と人々の貧しい生活状況を目の当たりにした時は、かなりショックを受けましたね。正直、「野球なんてやっていても、いいのだろうか?」とさえ思いました。それでも、野球教室に参加したネパールの子どもたちが、笑顔で白球を追いかけている姿を見た時、「一瞬でも震災のことを忘れて野球を楽しめたのなら、野球を教えに来た価値は充分あったな」と思うことができました。
そして、次にネパールへ行った時、前回の野球教室に参加していた子どもと再会したんです。その子どもから、「地震で親が亡くなり不安な日々を過ごしていたけど、野球を教えてもらったおかげで野球が日々の支えになった。西尾くんに出会えて本当に良かった。ありがとう」と言われました。野球を教えることを通して、誰かの支えになることができていたなんて思ってもみませんでしたが、彼の言葉によって「誰かのために取り組むこと」の価値を知ることができました。
パーソルキャリアの選考には、どのように臨まれたのですか?
ありのままの自分を見せてフィットしなければ、それは最初から縁のなかった会社。そう思って就活していたので、どの企業の面接でも自分が今までやってきたことを素直に話し、それを企業がどう評価してくれるのかを重視していました。パーソルキャリアでは高く評価してもらえたようで、次の選考、その次の選考とスムーズに進むことができました。
最後の役員面接で内定をいただいた後、サポートをして下さっていたメンターの方から北海道の話を教えていただき、「向こうの役員に会わせるから、興味があるなら北海道へ行って自分の目で確かめて来い」と言われたので、入社前にもかかわらず交通費を出していただき、北海道の支店長に会いに行かせていただきました。都心部より競合他社が少ない分、新規開拓できる領域が大きい。自分の行動力やアイデア次第で、どんどん仕事の幅を広げていける。そんな話を支店長から聞いていくうちに、「ここなら挑戦し甲斐もあるし、実績を上げるには絶好の場所だ」と判断し、北海道を勤務地として選びました。
今後の抱負についてお聞かせください。
各事業部の新卒1年目の社員の中から、最も活躍した人が1名ずつ選出され、新人賞が贈られるという制度がパーソルキャリアにはあります。まずは、この賞を受賞するために、1年目で小樽かどこかに新支店を作ってみたいと意気込んでいます。さらに、その新人賞を受賞すると、社長と一緒に「HEROES」という海外インセンティブツアーに参加できるので、そこで社長に自分を売り込もうとも考えています。
また、生まれた環境によってキャリア選択の自由を奪われている人たちを留学をとおして見てきたので、将来的には、誰もが自由にキャリアを選択できるような支援体制の確立にも挑戦したいですね。一人でも多くの「誰かのためになること」を成し遂げたいと考えています。
※掲載内容は取材当時のものです。
国際交流サークル
ハロウィンイベント
2017年に花岡キャンパスで国際部と協力して第1回ハロウィンイベントを実施。
ハロウィンイベントでは、かぼちゃランプ作り、ビンゴゲームなど様々な企画を開催しました。ケーキやピザなどの軽食を食ながら、留学生と日本人学生が交流をして新しい友達や発見をすることできました。
今後も留学生と日本人学生が交流する場の提供と異文化への相互理解を目的に活動を行っていきます。