民間企業

大学時代は、人生を変える最後のチャンス。
先生のその言葉が、すべての始まりとなった。

大阪信用金庫 内定吉見 航平 さんKouhei Yoshimi経済学部経済学科卒(2018年3月) / 大阪府立 長野高校 出身

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内定先について、お聞かせください。

大阪信用金庫から内定をいただきました。
大阪市に本店をおく信用金庫です。金融情報誌による顧客満足度ランキングでは、メガバンクなども含めた全国の金融機関のなかで、上位に格付けされています。それだけ多くの顧客からの支持を得ているという点が、「より多くのお客様のお役に立ちたい」という僕自身の理想とする金融機関のあり方と一致し、志望しました。信用金庫のなかでも比較的規模が大きいことや、100年近く積み重ねた歴史も、顧客の支持があってこそのことだと感じています。
地元の大阪で働きたいという想いもあったので、そういう意味でも希望通りの就職ができたと思っています。

大学入学当初は、ご自身の将来についてどのように考えていたのですか?

特に夢や目標などはなかったですが、強いて言うなら「公務員になれれば」という漠然とした想いを持っていました。この大学に入ったのは、「就職率が高く、公務員試験の合格実績も高い」と、高校の先生に薦めてもらったためです。
転機となったのは、BLP(ビジネスリーダープログラム)で金融クラスを担当されていた先生との出会いです。1年生の時、八尾シンポジウムでの先生のあいさつが、僕の心に強く響きました。「人生を変えるチャンスは、この大学時代が最後だ。BLPでなら、変えることができる」、と。今までそんなことを言ってくれる人はいませんでしたし、先生の情熱が伝わり、「この人のもとで学びたい!」と感じました。以後、僕はBLPの金融クラスで学び、それが金融機関を志すきっかけになりました。

BLPではどのような学修に取り組まれましたか?

金融について学んだというより、社会人としての感覚を磨いたと思っています。
最初、BLPの先輩たちと自分との差に、驚きました。話し方、しぐさの一つひとつ、相手への気遣い、すべてが違う。年は自分とそんなに変わらないのに、先輩たちの持つ雰囲気は「学生」でなく「社会人」そのものでした。レポートなども、その頃の僕にはとても書けない、ビジネスでそのまま使えるような文章でまとめられていると感じました。それまでの僕はあまり勉強熱心でなく、それでもなんとかなると思いながら人生を過ごしてきました。でもBLPでは、本気で頑張らなければ通用しそうにない。「やらなければ!」と強く思いました。その決心と意欲は、先輩たちが銀行や有名企業からの内定を次々と手にしていくのを目の当たりにして、いっそう強まっていきました。
BLPでの学びは、すべてが「実践」。例えば学園祭でも、BLP金融クラスでは焼きそば店を出店していましたが、仕入れ値や利益などをシビアに計算し、収支報告書まで作成します。売上げ目標や営業計画を立て、きちんとシフトを組んで。「将来は大きな取引に携わる自分たちが、300円の焼きそばを売れないでどうするんだ」という気持ちで、学園祭すらもリアルな経営感覚を養える絶好の機会ととらえ、徹底的に数字にこだわりました。そんなBLPで実践的な学びを繰り返すうちに、僕にも自然に力がついていったと思います。

就活にはどのように取り組まれたのですか?

BLPの先生や先輩のアドバイスを受けながら、企業研究や自己分析から取り組みました。
はじめは金融機関にこだわらず、メーカーなどいろいろな業界について調べました。最終的に金融に絞ったのは、経済的な悩みを抱えている人の力となる仕事ができると考えたからです。僕は母子家庭で育ち、経済的な苦しさを感じた経験もあります。以前、なんとなく公務員を意識していたのも、経済的に困っている人たちに手を差し伸べられる仕事だと思ったからです。でもそういう人たちにもっと寄り添えるのは金融機関なのでは、と、BLPで学ぶなかで考えるようになりました。それが、金融機関を志望する決め手となりました。
BLPの先輩たちには、自己分析や面接の練習のサポートなどで、とてもお世話になりました。すでに金融機関から内定をもらっている先輩からは、「面接でどんなことを聞かれ、どう答えたか」といった実体験を聞かせてもらった上で対策ができたことは、大きかったと思います。また、就活実践キャンプに参加した時は、SPI試験対策の大切さも再認識しました。そうして周囲の支えを受けながら、しっかりと準備を進めることで、自信を持って選考に臨めたと思います。

大阪信用金庫の選考は、どのようなものでしたか?

他の企業などと大きく違っていたのは、個人面接がないという点です。面接試験は3回あって、一次は4〜5人での集団面接、二次では2人、最終の三次面接は7人で行われました。しかも面接時間は、すべて10分ほど。この短時間でいかに面接官に他の学生よりも自分を印象づけるか、僕は事前に先生や先輩に相談しながら戦略を練って臨みました。
例えば最終面接では、「服装はスーツでも私服でも可」とあったので、僕は私服を選択。当日の面接で、他の学生は全員スーツだったので、それだけで一歩リードできたと思います。その上で、大学で頑張った取り組みの一つひとつについて、きちんとアピールすることができました。相手にわかりやすく自分の考えや想いを伝える力は、BLPでかなり鍛えられていたので、そこは評価してもらえたように思います。
結果、内定をいただけた時は、その喜びを誰よりもまず、先生に報告しました。人生を変えられたかどうか、本当に実感できるのはこれからかもしれませんが、「この先生のもとで学んで良かった」と、改めて感じています。

大学生活で他に印象に残っていることはありますか?

テニスサークルでの活動も、かけがえのない経験となりました。
中学生の頃からテニスをしていたので、大学でも1年生からテニスサークルに入りました。ところが上級生同士で意見の対立が起こり、その結果、上級生全員がサークルを辞めてしまったのです。残ったのは1年生だった僕たち3人だけで、廃部寸前となりました。でも「何とか立て直したい」と思い、僕がサークル運営の引き継ぎをかって出たのです。
しばらくは試合どころか、練習相手もおらず、時にはコートで1人だけでサーブ練習をする、という日も珍しくありませんでした。一生懸命に周囲に声をかけ、メンバーを増やして少しずつかたちを整えていき、なんとか廃部を免れ、今は10人が所属し、試合もできるようになりました。
サークルをマイナスの状態から立て直したこの経験は、就活でのアピール材料にもなりました。つらいことも多かったですが、全部、自分の糧として返ってきた。忘れられない、特別な経験です。

今後の抱負についてお聞かせください。

学部の授業で経済の知識を身につけ、BLPで金融について深く学びましたが、今後は金融機関での専門職としてこれまで以上にコアな知識が必要になります。そうした知識は、今から身につけておいても損はありません。とりあえず大学卒業までに、証券外務員や銀行業務検定、FP検定など、取れる資格は取っておこうと考え、今はその勉強に力を注いでいます。大阪信用金庫に入って、これからスタートという時点で、他の同期の仲間に差をつけることができると思うからです。
BLPで共に学んだ仲間にはライバル意識を持っていましたが、順位などはありませんでした。でもこれからは営業成績という数字がはっきりと出て、それが評価や昇格などに反映されます。そうした職場で、まず一番になりたいと考え、今から頑張りたいと思っています。大阪信用金庫の同期だけでなく、他の銀行や証券会社などに就職する、BLPの仲間にも負けたくない。一番に「主任になった!」と、みんなに報告したいんですよ。その先もずっと競争が続くでしょうし、まだ始まったばかりなのはわかっていますが、最初が肝心なので、そこは僕がいただこうかな、と(笑)。
そして、ゆくゆくは支店長などの重責を担うポジションに就き、地域社会に貢献することで、恩返しがしたい。多くの人たちの経済的な問題を解決する力になりたいというのが、僕自身の軸ですから。「大阪信用金庫の吉見に任せて良かった」と言われるくらいになれるよう、頑張り続けます。

受験生の皆さんへのメッセージ

「大学時代は人生を変える最後のチャンス」という先生の言葉が、僕にとっての起点となりました。一方で「大学時代は人生の夏休み」と言う人もいます。確かに大学では休みも多く、社会人などと比べて、自由な毎日が過ごせるかもしれません。でも僕は、だからこそ失敗ができない期間だと思うんです。大学時代にしかできないことに挑戦しておかなければ、きっと後悔します。僕の場合はBLPでしたが、どんなことに打ち込むかは人それぞれ。みなさんにも「これだ!」という自分だけの何かを見つけてほしいですし、この大学は、その何かを見つけられる場所だと思います。人生を変えるチャンスを、逃さないでください!

※掲載内容は取材当時のものです。

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